2020.7.14 火曜日

【CBDについて一緒に考えよう】第5回 「CBDの歴史」その3


2013年8月。アメリカのCNNで、ドキュメンタリー番組「WEED」が放送されました。それは、コロラド州にすむドラベ症候群を患うシャーロットちゃんの闘病生活を追う内容でした。この番組が全放送されると、全米に衝撃的がはしり、CBDの存在が一気に知られるようになったのです。

ドラベ症候群は、乳幼児期に発症する難治てんかんです。日本でも難病指定をされている小児てんかんで、週に300回以上も激しい痙攣をおこすこともあります。治療法も少なく、強い副作用をもった複数のクスリを投薬するなどしていくしかありません。

番組の中でシャーロットちゃんの両親は、困難の末に、デンバーのディスペンサリーと呼ばれている大麻薬局で、高CBD品種の大麻を手に入れ使用したところ、ほとんど発作が治まり、次第に回復していきました。この番組を見た全米中の同じ境遇の家族を中心に、CBDにたいする関心が高まり、社会現象が起きました。これが現在の世界的なCBDブームの始まりです。

しかし、CBDを使用するためには大きな障害がありました。アメリカ連邦法では、大麻に対する法的規制があったのです。そのため、CBDを使用できる地域は、州法で合法となっていたコロラド州やワシントン州、カリフォルニア州などに限られていました。すると全米では、CBDのみならず、医療大麻全体の合法化を求める声が高まり、他の州法でも次々と合法化されていきました。

この動きに同調するように、ヨーロッパやカナダ、オーストラリアなどの国々も、医療大麻合法化へと進んでいきます。

1998年1月。世界アンチドーピング機構は、CBDをスポーツ大会でのドーピング薬物の対象外としました。このことにより、オリンピックでもアスリートたちがCBDを使用できるようになりました。つまり、CBDは人体に副作用のない安全な物質だと、国際社会で証明されたのです。1998年2月の平昌オリンピック・パラリンピックでも、CBDは使用可能になりました。特に、痛みに耐えながら競技に臨むことも多いパラリンピックの選手たちには、CBDは欠かせないものだといえるでしょう。

そして1998年12月に、産業用大麻(ヘンプ)合法化法案にトランプ大統領が署名をしました。このことで、全米でのヘンプの栽培利用はすべて合法となり、CBDも自由に使うことができるようになりました。

現在では、アメリカをはじめ、カナダやヨーロッパ、中国でもヘンプが栽培され、CBDが抽出されています。それらが現在、日本にも輸入されているのです。

 

CNNの「WEED」はYouTubeでも字幕付きで見ることができます。

https://youtu.be/cX9mbV_lJBY